オリンピックにおける花形競技とも言える競泳。選手たちは日々タイムを0.1秒でも縮めようと努力していますが、それと同じように水着メーカーもそんな選手たちをサポートしようと日々開発が行われています。いまや、選手が着用する水着がメダルの色を左右するといっても過言ではない時代に突入していくようになったのです。そこで今回は、競泳水着がオリンピックにどのようにかかわってきたのか、そして改めて競泳水着がどのような役割を果たしているのかをご紹介していきたいと思います。
オリンピックからわかる競泳水着の歴史
2020年、東京でオリンピックが開催されることになりましたが、東京でオリンピックが開催されるのは2回目になります。1回目は1964年に行われました。実に56年ぶりに日本で行われるオリンピックとなるのです。そこで、1964年の東京オリンピックから競泳水着はどのように進化していったのかを紐解いてみましょう。
東京オリンピック(1964年)
この頃、世界的な水着の素材は絹が主流でした。しかし日本代表の競泳水着は、合成繊維のナイロン(ポリアミド)100%というものでした。ナイロンには、水を吸いにくく侵蝕性もあるという特徴があります。当時の代表選手からの評判も上々だったということですが、実際着てみると横には伸びるが縦には伸びなかったためフィット性があまり良くなかったともいわれています。
その欠点を補うために首回りを大きく開けたデザインにしたとされています。この水着を提供したのは大阪発祥のスポーツメーカーのミズノです。この水着が、今日に至るまでの競泳水着の進化の原点となるものでした。
メキシコオリンピック(1968年)~ロサンゼルスオリンピック(1984年)
素材自体はあまり大きな変化はありませんでしたが、オリンピックを重ねるごとに動きやすさは向上されていきました。
特に、1976年のモントリオールオリンピックの際に採用された水着では、ポリウレタン弾性糸の開発で縦横2方向の伸縮が可能になったことや、肩甲骨を避けた肩紐形状にデザイン変更されるなど、現在の競泳水着の原型ともいえるモデルとなったのです。
ソウルオリンピック(1988年)~アトランタオリンピック(1996年)
この時期から、競泳水着作りは新たな局面を迎えようとしていました。選手の感覚や動きやすさをもとに作る方法から、水中での水の抵抗を測定するなど科学的な理論を用いた作り方へと変化していったのです。水着の素材も変更された。
ソウルオリンピックでは、東レとミズノが開発した「アクアピオン」というものが開発されました。これは、水着表面を平滑化することによって水の抵抗を半分に抑えることでより前に進んでいくことを目指して開発された素材です。近年では主流となっている、
「いかに水の抵抗を抑えて、スムーズに前に進んでいけるか」という考え方はここから始まったのです。
素材はアクアピオンからさらに抵抗を抑えた「アクアスペック」(バルセロナオリンピックで着用)、イギリスのSpeedo社が開発した「アクアブレード」へと進化していきました。
シドニーオリンピック(2000年)以降
競泳水着はさらに進化していくこととなりました。素材はもちろんのこと、人間工学などあらゆる技術を駆使したものが開発されていくようになったのです。かつては大きく泳ぐことが重要と考えられていた泳ぎの姿勢は、「いかに抵抗が少なく泳げるか」という考え方に変化しました。
その結果、全身を水着で覆うことによって水の抵抗も泳ぐことによる抵抗も軽減させることに成功したのです。近年の競泳の高速化には、まさに水着が大きな影響をもたらしたのです。
禁止になったん競泳水着レーザー・レーサーとは
先述した、ハイテク水着の究極系ともいえるものが「レーザーレーサー」です。水着表面による水抵抗を極限まで抑えることはもちろん、水着によって体は目いっぱい締め付けられます。そのことによって泳ぐ際の筋肉の隆起などを防ぎ、水の抵抗を限りなく抑えることに成功したのです。
2008年の北京オリンピックではこの水着を着た選手たちが金メダルを取るだけでなく、世界新記録を連発するなど大きな反響を与えることとなりました。しかし、2010年からはこのレーザーレーサーの使用は禁止されています。
日本代表が着用している水着はなに?
日本代表選手は現在、ミズノ社製の競泳水着を着用しているケースが多くなってきています。
レーザーレーサーの登場で大幅に変更された水着のルールの範囲内で、日本のメーカーもより高速の水着を開発しようとしています。
東京オリンピックでは、選手の泳ぎだけでなく、その水着の技術力の勝負も見逃せないものとなっているのです。